『ワールドダイスター 夢のステラリウム』についてより深く向き合う試みの第3弾です。
今回はイベント「FAIR IS FOUL, FOUL IS FAIR」についてです。
以下の記事を読む際の注意点
・イベント「FAIR IS FOUL, FOUL IS FAIR」のネタバレを含みます。
・考察、解釈はあくまで個人の意見です。解釈のブラッシュアップをしたいので意見は常に募集しています。
・当ブログは『ワールドダイスター 夢のステラリウム』関連二次元創作・ゲーム実況配信及び動画投稿に関するガイドラインを確認したうえで投稿しています。
イベント概要
暦は、自分に干渉するラモーナを通し、かつて銀河座にいた"ある人物"を思い出す。それは暦が『馴れ合いは不要』とする理由のひとつ、切ない別れの思い出で――
シェイクスピア四大悲劇「マクベス」
皆さんはシェイクスピアの四大悲劇をご存じでしょうか?
恐らく大半の人がその言葉を見たり聞いたりする機会があると思います。
ただ実際に内容を読んだことがあるか?と聞かれると義務教育時代に習うか、文学への興味がないと知らない人が多いと思います。
ちなみに私もそのうちの一人でした。
ワールドダイスターは題材となる演目への知見があると、ストーリーとの関連性など気づけることが多くより深みが増します。
イベント「FAIR IS FOUL, FOUL IS FAIR」では銀河座が過去に行ったシェイクスピアの四大悲劇の一つ、マクベスの公演を主軸に話が作られています。
マクベスを知らない状態で当イベントを読んだ時と、マクベスを一通り読んだ後では気づけることが天と地ほどの差があったので一つ一つ触れていきたいと思います。
千寿暦にとっての予言
5年前、まだ暦が中学生の頃。
両親の期待と演劇の名門に生まれた責務を果たすため、両親に勧められるがまま銀河座に入団しています。
この頃から演劇に対してストイックなのは変わりませんが、一つだけ現在と気持ちが異なる部分があります。
それは両親の教えとは反する『誰かに深入りする』するような気持ちを持っていることです。
この頃は打ち上げにも素直に参加してくれます。
同じ銀河座の友人である今野栞といつか共演したいという願いを持ち、それを伝え「次こそは舞台にたつ」と栞に約束させてしまいます。
しかしいつか共演したいという願いは叶わいませんでした。
銀河座で次代を担う存在と言われ期待されている暦は、栞が去ることになった理由を知らされ銀河座の厳しい現実を目の当たりにします。
栞と自分本位で約束をして相手を傷つけてしまったかもしれないことと、銀河座の厳しい現実を目の当たりにしたことをきっかけに、高みを目指すものとしての自覚が足りなかったと反省し銀河座という世界で生き残るために甘さを捨てます。
舞台とは成功させるもの、期待に応えるものであり誰かと楽しむものではない、同じ劇団の役者に深入りしないと、両親や銀河座上層部の予言のような言葉に縛られた千寿暦という役者を演じるようになります。
これが中学一年生での出来事であり暦の銀河座の役者としての第一幕です。
マクベスにとっての予言
ここからはマクベスの内容を絡めていきます。
銀河座は『王道』の展開で台本が書かれているので、原作の内容を知らないよ!という方はあらすじを一読すると面白いかもしれません。
・ざっくりとしたあらすじ
戯曲冒頭では、戦果をあげたグラミスの領主マクベスが魔女と出会い「コーダの領主様!」「いずれ王ともなられるお方!」と、予言のような言葉をかけられています。
イベント曲である『血を着飾る栄華のために』の冒頭も
♪あなたは王となるのだ マクベス
と予言の言葉から始まっています。
その後、予言通りにコーダの領主となったマクベスは、王になるという予言にも期待するようになります。
ですが王位継承者は他のものに渡りそうになり、予言が実現しないのではないかと考えたマクベスは王を殺害し自らが王に即位します。
予言のような言葉に行動を縛られてしまうのは、最早それは呪いの言葉です。
♪あぁ刻まれたのだ 呪いのような 魔女の予言の言葉が
演劇の名門である千寿家としての責務、両親の期待、銀河座上層部からの期待、これらの予言じみた言葉に縛られていている暦も呪われているといえるでしょう。
眠れない呪い
予言じみた言葉に縛られ呪われている暦ですが、この呪いから脱する機会が一度ありました。
それはライバルである初魅が退団するタイミングです。
初魅は暦を銀河座を辞めて共にこないかと勧誘します。
もしついていけば責務を放棄し、両親や銀河座上層部の期待も裏切り縛られることはなくなったでしょう。
ですが暦はこれを断り伝統を守る選択をします。
この瞬間に暦は眠りを殺しています。
・勧誘を断り眠りを殺した暦
そもそも眠りを殺すとは?
マクベスは王を殺害した際に
と幻聴を聴いています。
様々な解釈がありますが安らぎの時間を殺し、おびえる日々が永遠に続くととらえます。
銀河座のトップになった暦は、舞台を成功させなければならない、期待に応えなければならないというプレッシャーから、公演前は安眠ができず薬を飲んで眠っています。
初魅というライバルが隣にいれば、プレッシャーを一人で抱えることはなかったでしょう。
ですが初魅は考え方ゆえに銀河座には居続けられません。
勧誘を断り銀河座に残る選択をした暦は、眠れない呪いまでも受けてしまいます。
・もし勧誘を受け入れていたら
もし初魅の勧誘を受けていたら、暦は眠れない呪いを受けることはなかったでしょう。
ですがその時何かを犠牲にしてしまう可能性があります。
それは妹の千寿いろはです。
姉が両親からの期待を裏切ってしまった時、姉が抱えていた責務や期待を妹であるいろはが一身に受けることになるでしょう。
ですがいろはにはセンスがありません。
本来なら途中で演劇を辞めてしまいますが、姉が期待を裏切り責務を放棄していたら、きっと簡単には辞めさせてもらえないでしょう。
それはいろはにとって過酷な日々であり、暦がいろはの人生を殺したとも言い換えられます。
役者としての転換点
ここまではマクベスと千寿暦の共通点をまとめてきましたが、暦が辿る運命について考えていきます。
マクベスはシェイクスピアの四大悲劇と言われているくらいなので結末はもちろん "悲劇" です。
最後にマクベスは自国の貴族に討たれてしまいます。
♪この人生が終わる時まで この役柄を演じ続ける
銀河座のエースであり続ける限り、マクベスという役柄から連想される数々の呪いから解放される様子はありません。
両親や銀河座上層部の期待に応える、理想の千寿暦を演じ続けるでしょう。
ですがそんな暦を打倒しようとしている存在がいます。
そう、ラモーナ・ウォルフです。
ラモーナが暦を孤独なエースの座から引きずり落とす時、千寿暦という役者の大きな転換点になるのではないかと考えています。
孤独なエースの陥落は、王として国の頂点に立ち続けたマクベスが討たれること。
千寿暦は役者としての人生が終わる時まで演じるつもりのマクベスという役柄を失うことになります。
実際に一人で抱えてきた舞台を成功させなければならない、期待に応えなければならないというプレッシャーからは解放され、眠れない呪いからは解放されるでしょう。
マクベスという役柄から解放されるとき、千寿暦は一体どんな理想の千寿暦を演じるのでしょうか。
両親からの期待や演劇の名門に生まれた責務は変わることはないでしょう。
ですが肩を張り合うことのできるラモーナをライバルとして、友人として認め、昔は持っていた誰かと一緒に舞台を楽しみたいという気持ちを取り戻すかもしれません。
少し妄想のような話になりますが『誰かに深入りする』するような気持ちを持っていた頃、暦が演じていた役はシンデレラでした。
シンデレラは仙人に魔法をかけられ舞踏会にたちますが、暦は呪いを受け舞台に立っています。
暦の呪いは時間の経過(午前零時)で解けるものではありません。
ですがおとぎ話で姫を呪いから解放するのはいつだって王子様です。
今の銀河座で王子様といえば一人しかいませんよね。
気になってしまうあの人
暦は何かとラモーナを意識する描写があります。
意識し何かを期待してしまうのは
ラモーナが暦と真逆の役者としての人生を送っているところに理由があると考えます。
誰かに深入りしていては銀河座で生き残れない、そんな気持ちでトップまで上り詰めたのに誰かに深入りし絆を重要とするラモーナが銀河座で頭角を現すのはどうしても気になってしまうでしょう。
対比のような要素がいくつかあるので挙げてみます。
◇千寿暦
・他の役者に深入りしないようにしている
・両親の期待と演劇の名門に生まれた責務を果たすため、理想の自分を演じている(受動的)
・今野栞が退団してから銀河座の舞台を見に来ていない
・過去に銀河座という世界で生き残るために甘さを捨てている
◇ラモーナ・ウォルフ
・役者にも絆が重要と考え、他の役者に深入りしている
・両親に憧れ、両親のようになりたいと思い理想の自分を演じている(能動的)
・福士倫子が退団してから銀河座の舞台を見に来ている
・過去に捨てた甘えたい気持ちを取り戻している*1
他にもありそうなので後から追加するかもしれません。
ダイスターになるには
暦は伝統ある銀河座のトップの役者でありながら、ダイスター認定されていません。
ダイスターになるために一体何が足りていないのか。
これについていくつか考えてみます。
①新しい自分を見せる
まずは4劇団の現役の役者で唯一ダイスターに選ばれている新妻八恵について考えていきます。
「わたしがダイスターになるには、新しい新妻八恵を見せなくてはいけないんです」
「求められたまま演じている限り、ダイスターには近づけないと気づきました」
アニメ「ワールドダイスター」第5場より
アラビアンナイト公演千秋楽では、ここなが八恵の演技に喰われることのない比肩する演劇人に成長し、八恵は今まで自らが人々を魅了し舞台を壊していたことに気づきます。
柊望有という王子様に惹かれ舞台の世界にきた、人々を魅了する歌声を持つ八恵は人魚姫を連想させます。
次のオペラ座の怪人公演では、成長したここなに触発され自らも輝きを増しています。
舞台にいるのは音楽の天使に導かれたプリマドンナ クリスティーヌであり、そこに歌声で舞台を破壊していた人魚姫はもういません。
そして公演後に八恵はダイスターとして認定されます。
人魚姫やかぐや姫のような周囲から求められた純粋無垢な少女とは違う役を演じ、身も心もプリマドンナとして成長し、新しい新妻八恵を見せたからこその認定のように見えます。
これをふまえて暦について考えてみます。
銀河座のトップである暦は周囲から求められた期待に応える千寿暦を演じています。
ですがそれはこの言葉に反します。
「求められたまま演じている限り、ダイスターには近づけないと気づきました」
暦がダイスターになるためには、新しい千寿暦を見せる必要があるのかもしれません。
ラモーナにエースの座から引きずり落とされ、新しい理想の自分を演じる時、ダイスターにぐっと近づくのかもしれません。
②八恵とは別のアプローチでダイスターになる
ダイスターになる条件は他にもあるのではないかという考えです。
4劇団の現役の役者でダイスターに認定されたのが八恵だけなので、新しい自分を見せないとダイスターになれないように思えますが、それは銀河座という劇団ではあまりに危険な行為です。
銀河座は伝統を重視する劇団であり、役者は演出家の求める演技をして舞台を作りあげています。
求められるがままの演技以外をすると、そもそも舞台から降ろされてしまいます。
では演出家の求める演技が良しとされる習慣を変えれば解決するように思えますがこれはNGです。
習慣を変えることは守ってきた伝統を捨てることになります。
伝統を捨てしまってはそれは銀河座ではない他の何かになってしまいます。
伝統ある芝居を守るという役目を果たしながら、いつかダイスターに認定されるかもしれません。
役者の顔を隠した時は
ここまで暦は演劇を楽しむことをしていないような書き方をしていますがそんなことはありません。
暦はオフの日は、千寿の顔を隠し誰かの期待に応える理想の役者ではなくただの演劇好きとして観劇にでかけています。
舞台は誰かと楽しむものではないが自分が演じることと、観劇することにも当てはまるならいつか強火いろはオタクの隣に銀河座のだれかがいるかもしれません。
(そういえば変装して出かけている時ってSPってついているのでしょうか....?)
ここまで読んでいただきありがとうございました。
まだまだ考察の余地はありそうなので随時更新するかもしれません。
*1:時系列的には当イベントの後