【ワールドダイスター備忘録】FAIR IS FOUL, FOUL IS FAIR

『ワールドダイスター 夢のステラリウム』についてより深く向き合う試みの第3弾です。

今回はイベント「FAIR IS FOUL, FOUL IS FAIR」についてです。

 

以下の記事を読む際の注意点

・イベント「FAIR IS FOUL, FOUL IS FAIR」のネタバレを含みます。

・考察、解釈はあくまで個人の意見です。解釈のブラッシュアップをしたいので意見は常に募集しています。

・当ブログは『ワールドダイスター 夢のステラリウム』関連二次元創作・ゲーム実況配信及び動画投稿に関するガイドラインを確認したうえで投稿しています。

 

 

イベント概要

暦は、自分に干渉するラモーナを通し、かつて銀河座にいた"ある人物"を思い出す。それは暦が『馴れ合いは不要』とする理由のひとつ、切ない別れの思い出で――

youtu.be

 

シェイクスピア四大悲劇「マクベス

皆さんはシェイクスピアの四大悲劇をご存じでしょうか?

恐らく大半の人がその言葉を見たり聞いたりする機会があると思います。

ただ実際に内容を読んだことがあるか?と聞かれると義務教育時代に習うか、文学への興味がないと知らない人が多いと思います。

ちなみに私もそのうちの一人でした。

ワールドダイスターは題材となる演目への知見があると、ストーリーとの関連性など気づけることが多くより深みが増します。

イベント「FAIR IS FOUL, FOUL IS FAIR」では銀河座が過去に行ったシェイクスピアの四大悲劇の一つ、マクベスの公演を主軸に話が作られています。

マクベスを知らない状態で当イベントを読んだ時と、マクベスを一通り読んだ後では気づけることが天と地ほどの差があったので一つ一つ触れていきたいと思います。

 

千寿暦にとっての予言

5年前、まだ暦が中学生の頃。

両親の期待演劇の名門に生まれた責務を果たすため、両親に勧められるがまま銀河座に入団しています。

この頃から演劇に対してストイックなのは変わりませんが、一つだけ現在と気持ちが異なる部分があります。

それは両親の教えとは反する『誰かに深入りする』するような気持ちを持っていることです。

この頃は打ち上げにも素直に参加してくれます。

 

同じ銀河座の友人である今野栞といつか共演したいという願いを持ち、それを伝え「次こそは舞台にたつ」と栞に約束させてしまいます。

 

しかしいつか共演したいという願いは叶わいませんでした。

 

銀河座で次代を担う存在と言われ期待されている暦は、栞が去ることになった理由を知らされ銀河座の厳しい現実を目の当たりにします。

栞と自分本位で約束をして相手を傷つけてしまったかもしれないことと、銀河座の厳しい現実を目の当たりにしたことをきっかけに、高みを目指すものとしての自覚が足りなかったと反省し銀河座という世界で生き残るために甘さを捨てます。

舞台とは成功させるもの、期待に応えるものであり誰かと楽しむものではない、同じ劇団の役者に深入りしないと、両親や銀河座上層部の予言のような言葉に縛られた千寿暦という役者を演じるようになります。

これが中学一年生での出来事であり暦の銀河座の役者としての第一幕です。

 

マクベスにとっての予言

ここからはマクベスの内容を絡めていきます。

銀河座は『王道』の展開で台本が書かれているので、原作の内容を知らないよ!という方はあらすじを一読すると面白いかもしれません。

 

・ざっくりとしたあらすじ

ddnavi.com

 

戯曲冒頭では、戦果をあげたグラミスの領主マクベスが魔女と出会い「コーダの領主様!」「いずれ王ともなられるお方!」と、予言のような言葉をかけられています。

 

イベント曲である『血を着飾る栄華のために』の冒頭も

♪あなたは王となるのだ マクベス

と予言の言葉から始まっています。

 

youtu.be

 

その後、予言通りにコーダの領主となったマクベスは、王になるという予言にも期待するようになります。

ですが王位継承者は他のものに渡りそうになり、予言が実現しないのではないかと考えたマクベスは王を殺害し自らが王に即位します。

予言のような言葉に行動を縛られてしまうのは、最早それは呪いの言葉です。

♪あぁ刻まれたのだ 呪いのような 魔女の予言の言葉が

演劇の名門である千寿家としての責務両親の期待銀河座上層部からの期待、これらの予言じみた言葉に縛られていている暦も呪われているといえるでしょう。

 

眠れない呪い

予言じみた言葉に縛られ呪われている暦ですが、この呪いから脱する機会が一度ありました。

それはライバルである初魅が退団するタイミングです。

 

初魅は暦を銀河座を辞めて共にこないかと勧誘します。

もしついていけば責務を放棄し、両親や銀河座上層部の期待も裏切り縛られることはなくなったでしょう。

ですが暦はこれを断り伝統を守る選択をします。

 

この瞬間に暦は眠りを殺しています

 

・勧誘を断り眠りを殺した暦

そもそも眠りを殺すとは?

マクベスは王を殺害した際に

マクベスは眠りを殺した。もうマクベスに眠りはない。」

と幻聴を聴いています。

様々な解釈がありますが安らぎの時間を殺し、おびえる日々が永遠に続くととらえます。

銀河座のトップになった暦は、舞台を成功させなければならない、期待に応えなければならないというプレッシャーから、公演前は安眠ができず薬を飲んで眠っています。

初魅というライバルが隣にいれば、プレッシャーを一人で抱えることはなかったでしょう。

ですが初魅は考え方ゆえに銀河座には居続けられません。

勧誘を断り銀河座に残る選択をした暦は、眠れない呪いまでも受けてしまいます。

 

・もし勧誘を受け入れていたら

もし初魅の勧誘を受けていたら、暦は眠れない呪いを受けることはなかったでしょう。

ですがその時何かを犠牲にしてしまう可能性があります。

それは妹の千寿いろはです。

 

姉が両親からの期待を裏切ってしまった時、姉が抱えていた責務や期待を妹であるいろはが一身に受けることになるでしょう。

ですがいろはにはセンスがありません。

本来なら途中で演劇を辞めてしまいますが、姉が期待を裏切り責務を放棄していたら、きっと簡単には辞めさせてもらえないでしょう。

それはいろはにとって過酷な日々であり、暦がいろはの人生を殺したとも言い換えられます。

 

役者としての転換点

ここまではマクベスと千寿暦の共通点をまとめてきましたが、暦が辿る運命について考えていきます。

マクベスシェイクスピアの四大悲劇と言われているくらいなので結末はもちろん "悲劇" です。

最後にマクベスは自国の貴族に討たれてしまいます。

♪この人生が終わる時まで この役柄を演じ続ける

銀河座のエースであり続ける限り、マクベスという役柄から連想される数々の呪いから解放される様子はありません。

両親や銀河座上層部の期待に応える、理想の千寿暦を演じ続けるでしょう。

 

ですがそんな暦を打倒しようとしている存在がいます。

そう、ラモーナ・ウォルフです。

 

ラモーナが暦を孤独なエースの座から引きずり落とす時、千寿暦という役者の大きな転換点になるのではないかと考えています。

孤独なエースの陥落は、王として国の頂点に立ち続けたマクベスが討たれること。

千寿暦は役者としての人生が終わる時まで演じるつもりのマクベスという役柄を失うことになります。

実際に一人で抱えてきた舞台を成功させなければならない、期待に応えなければならないというプレッシャーからは解放され、眠れない呪いからは解放されるでしょう。

 

マクベスという役柄から解放されるとき、千寿暦は一体どんな理想の千寿暦を演じるのでしょうか。

両親からの期待や演劇の名門に生まれた責務は変わることはないでしょう。

ですが肩を張り合うことのできるラモーナをライバルとして、友人として認め、昔は持っていた誰かと一緒に舞台を楽しみたいという気持ちを取り戻すかもしれません。

 

少し妄想のような話になりますが『誰かに深入りする』するような気持ちを持っていた頃、暦が演じていた役はシンデレラでした。

 

シンデレラは仙人に魔法をかけられ舞踏会にたちますが、暦は呪いを受け舞台に立っています。

暦の呪いは時間の経過(午前零時)で解けるものではありません。

ですがおとぎ話で姫を呪いから解放するのはいつだって王子様です。

今の銀河座で王子様といえば一人しかいませんよね。

 

気になってしまうあの人

暦は何かとラモーナを意識する描写があります。

 

意識し何かを期待してしまうのは

ラモーナが暦と真逆の役者としての人生を送っているところに理由があると考えます。

 

誰かに深入りしていては銀河座で生き残れない、そんな気持ちでトップまで上り詰めたのに誰かに深入りし絆を重要とするラモーナが銀河座で頭角を現すのはどうしても気になってしまうでしょう。

対比のような要素がいくつかあるので挙げてみます。

 

◇千寿暦

・他の役者に深入りしないようにしている

・両親の期待と演劇の名門に生まれた責務を果たすため、理想の自分を演じている(受動的)

・今野栞が退団してから銀河座の舞台を見に来ていない

・過去に銀河座という世界で生き残るために甘さを捨てている


◇ラモーナ・ウォルフ

・役者にも絆が重要と考え、他の役者に深入りしている

・両親に憧れ、両親のようになりたいと思い理想の自分を演じている(能動的)

・福士倫子が退団してから銀河座の舞台を見に来ている

・過去に捨てた甘えたい気持ちを取り戻している*1

 

他にもありそうなので後から追加するかもしれません。

 

ダイスターになるには

暦は伝統ある銀河座のトップの役者でありながら、ダイスター認定されていません。

ダイスターになるために一体何が足りていないのか。

これについていくつか考えてみます。

 

①新しい自分を見せる

まずは4劇団の現役の役者で唯一ダイスターに選ばれている新妻八恵について考えていきます。

「わたしがダイスターになるには、新しい新妻八恵を見せなくてはいけないんです」

「求められたまま演じている限り、ダイスターには近づけないと気づきました」

アニメ「ワールドダイスター」第5場より

 

アラビアンナイト公演千秋楽では、ここなが八恵の演技に喰われることのない比肩する演劇人に成長し、八恵は今まで自らが人々を魅了し舞台を壊していたことに気づきます。

柊望有という王子様に惹かれ舞台の世界にきた、人々を魅了する歌声を持つ八恵は人魚姫を連想させます。

 

次のオペラ座の怪人公演では、成長したここなに触発され自らも輝きを増しています。

 

舞台にいるのは音楽の天使に導かれたプリマドンナ クリスティーヌであり、そこに歌声で舞台を破壊していた人魚姫はもういません。

 

そして公演後に八恵はダイスターとして認定されます。

 

人魚姫やかぐや姫のような周囲から求められた純粋無垢な少女とは違う役を演じ、身も心もプリマドンナとして成長し、新しい新妻八恵を見せたからこその認定のように見えます。

 

これをふまえて暦について考えてみます。

銀河座のトップである暦は周囲から求められた期待に応える千寿暦を演じています。

ですがそれはこの言葉に反します。

「求められたまま演じている限り、ダイスターには近づけないと気づきました」

暦がダイスターになるためには、新しい千寿暦を見せる必要があるのかもしれません。

ラモーナにエースの座から引きずり落とされ、新しい理想の自分を演じる時、ダイスターにぐっと近づくのかもしれません。

 

②八恵とは別のアプローチでダイスターになる

ダイスターになる条件は他にもあるのではないかという考えです。

4劇団の現役の役者でダイスターに認定されたのが八恵だけなので、新しい自分を見せないとダイスターになれないように思えますが、それは銀河座という劇団ではあまりに危険な行為です。

 

銀河座は伝統を重視する劇団であり、役者は演出家の求める演技をして舞台を作りあげています

求められるがままの演技以外をすると、そもそも舞台から降ろされてしまいます。

では演出家の求める演技が良しとされる習慣を変えれば解決するように思えますがこれはNGです。

習慣を変えることは守ってきた伝統を捨てることになります。

伝統を捨てしまってはそれは銀河座ではない他の何かになってしまいます。

 

伝統ある芝居を守るという役目を果たしながら、いつかダイスターに認定されるかもしれません。

 

役者の顔を隠した時は

ここまで暦は演劇を楽しむことをしていないような書き方をしていますがそんなことはありません。

暦はオフの日は、千寿の顔を隠し誰かの期待に応える理想の役者ではなくただの演劇好きとして観劇にでかけています。

舞台は誰かと楽しむものではないが自分が演じることと、観劇することにも当てはまるならいつか強火いろはオタクの隣に銀河座のだれかがいるかもしれません。

(そういえば変装して出かけている時ってSPってついているのでしょうか....?)

 

 

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

まだまだ考察の余地はありそうなので随時更新するかもしれません。

 

 

*1:時系列的には当イベントの後

【ワールドダイスター備忘録】bet on faith?

『ワールドダイスター 夢のステラリウム』についてより深く向き合う試みの第2弾です。

今回はイベント「bet on faith?」についてです。

 

以下の記事を読む際の注意点

・イベント「bet on faith?」と「god  is no / w / here」のネタバレを含みます。

・考察、解釈はあくまで個人の意見です。解釈のブラッシュアップをしたいので意見は常に募集しています。

・当ブログは『ワールドダイスター 夢のステラリウム』関連二次元創作・ゲーム実況配信及び動画投稿に関するガイドラインを確認したうえで投稿しています。

 

 

イベント概要

オペラ座の怪人』を終え、Edenの評判は上々。噂は下町にも届き、容は地元で期待を寄せられる。一方初魅は、次回公演の配役で悩んでいる様子。普段は脇役に徹する容だが、本当はまだ夢をくすぶらせていて……。

youtu.be

 

Edenの次公演「サロメ」をきっかけに容が自分の本当の気持ちと向き合っていくイベントです。

脇役に徹する容が気持ちを初魅に打ち明けるきっかけになった大黒との関係性や、何故イベントポスターと曲がサロメではなく親指姫なのか等について触れていきます。

今回は憶測が多いので温かい目で見てください。

bet on faith?

イベント名について

bet on faithとは直訳すると「信頼に賭ける

信頼とは何のことなのか?一番最初に思い浮かぶのはEdenの絶対的な存在、連尺野初魅に対するものです。

特に信頼が厚いのは烏森大黒です。


初魅のことを我が主と呼び慕う大黒ですが、最初から初魅を信頼していたわけではありません。

 

【頼れる先輩】萬容のサイドストーリーに触れるので以下文字反転

イベント「god  is no / w / here」で、主役に抜擢されたものの演技が上手くいかず初魅のことが信じきれない大黒に対し容は、「まずはアタシのことを信じてみてよ。」「一人で悩まずもっと周りを頼っていいんだよ。」とアドバイスをしています。

その後、公演前日に初魅の「自身の魂の熱だけを感じて演じろ。」「お前の憎しみをすべて、舞台の上でさらけ出すんだ。」という言葉を信じて、憎しみという胸に秘めた気持ちを表にさらけ出し舞台は成功、大黒は自分だけの輝きを見出してくれた初魅を心の底から信頼するようになります。

 

ここで注目したいのが、容の言葉により一人で悩んでいた大黒が初魅の言葉を信じ、胸に秘めた気持ちを表に出すきっかけになったことです。

今回のイベントでは、初魅や大黒のように演劇に熱くなれる人に憧れの気持ちを抱いていることを口を滑らせているシーンがあります。

                    

そんな自分の気持ちを隠しながら演じている容は、イベント「god  is no / w / here」の大黒と重なります。

劇団の先輩として最初に信じた人が、以前の自分に重なって見えたであろう大黒はEdenに入る前から抱えている自分の気持ちをぶつけ、それをきっかけに容は自分の胸に秘めた気持ちを打ち明け始めます

このシーンと前述した【頼れる先輩】萬容を比較してみると、過去イベとの繋がりと大黒の成長を感じることができます。

 

そんな大黒の初魅への信頼に賭け、容は初魅にも胸に秘めた気持ちを打ち明けることを決意します。

お互いが胸に秘めた気持ちを表に出すきっかけになった関係性とても良いですね。

 

PUアクターについて

PUアクターのイラストが良かったのでサイドストーリーは避けてコンセプトにだけ触れていきます。

 

【縛めを解いてくれた人と共に】烏森大黒

外された鎖はシリウスへの強い固執と憎しみという気持ちを閉じ込める縛め。

そんな縛めを初魅が壊し、大黒は自分の気持ちを隠さず役者として輝ける光(初魅)の元へ向かっていきます。

【囚われてなお渇望するもの】萬容

自分には主役は似合わないと自分自身を縛り付け囚われています。

ただ本心は演劇に熱くなれる人に対して憧れを抱き、役者として輝いている光に憧れの眼差しを向けています。

 

PUポスターについて

親指姫と灰色のツバメ

イベントストーリーではサロメの配役の話をしていますが、イベント曲もポスターもサロメではありません。

サロメが選ばれていない理由は簡単です。

イベントストーリー上でまだ公演していないからです。

 

まずユメステの特徴として、イベントのポスターストーリーはイベントストーリーとどこか通じるものがあります。

仮にサロメをポスターにすると、主役は容になってしまいイベント内での主役への憧れや苦悩を表現できません。

 

では何故親指姫がイベント曲とポスターの題材として選ばれているのかについて考えていきます。

 

親指姫と灰色のツバメでは原作と違い悪魔憑きの心優しいツバメが登場します。

ツバメは悪魔の黒い感情に飲み込まれ周り迷惑をかける前に、悪魔もろとも死ぬことを決め木から飛び降ります。

けれど死ぬことは叶わず傷だらけの状態でツバメは親指姫と出会います。

 

アフタートークにあるようにこれはツバメに焦点を当てたツバメが主役の話です。

そんなツバメの周りに気を遣い自分のことを二の次にするところに容の姿を重ねています。

ちなみに配役は以下の通りになっています。

 

主役のツバメは大黒。容にメインキャラの配役はありません。脇役です。

ここで気になるのがイベント楽曲「ちいさないのちのさけるばしょ」のMVです。

youtu.be

 

脇役であるはずの容が主役の大黒と登場し、容は天使、大黒は悪魔を演じています。(ユメステ特番Vol.2 1:08:50~)

天使はストーリー上では出てきませんが、ポスターイラストには天使と悪魔を模したツバメが描かれています。

天使とはツバメの心優しさを表現していて、そんな一面にどこか通じるところがあり主役への憧れがある容が演じているのと考えられます。

容に羽がないのは気持ちを表に出し縛めから自由になったものとそうでない者の対比でしょうか。

イベントストーリー内でも大黒と容がサロメに対し違う側面から自分を重ねています。

それを二面性のあるツバメを二人で演じることで表現したのではないかなと考えています。

 

ポスターストーリーの内容は1人の少女の苦悩から決意をダークテイストにアレンジしたものです。(ユメステ特番Vol.2 1:05:55~)

1人の少女とは親指姫のことを指しますが、配役を気にせずにイベントストーリーと比較すると、主役を演じたいが自分には向いていないという苦悩から主役を演じると決意した容の気持ちの変化と一致します。

 

イベントPVに登場する灰色のツバメと普通のツバメも、光(初魅)の元へ連れていくきっかけになった大黒と容を表現しているようにも見えます。(ツバメの色の違いの解釈については思いつきませんでした。。。)

 

 

ちなみに原作の親指姫から得られる教訓は「自分が心から求めるものを選ぶことの大切さ」です。

脚色が強くそれぞれ解釈がありそうですが、「親指姫と灰色のツバメ」がイベントストーリーを十分に表現していると言えるのではないでしょうか。

 

容のセンスについて

今回のストーリーでいくつか容について気になる部分がありました。

1つは前述した周りに気を遣い自分のことは二の次ということ。

もう1つはこの発言。

 

容のセンスは無事これ名馬(アベレージヒッター)

あらゆる役を合格点で演じられるが満点を取れなくなります。

センスとは役者自身の願いや特徴に影響されたものが多いです。

昔、容が本気で演劇をやっていたころも同じ気持ちを抱いていたら、役を争う仲間に気を遣い無意識に自分の最高の演技をしないようにしていたのではないでしょうか。

そんな周りへの優しさがセンスの所以なのかなと考えています。

 

容の性格をよくわかっている初魅は、容に配慮しながら舞台を作り上げるために尽力しています。

配役から脚本まで初魅が決めるEdenだからこそ、容は周りを気にせず満点演技を目指し進化していけるのではないでしょうか。

周りを気にせず演技に打ち込める環境にいるせいか、注意不足になっている容も描かれていますが、きっと最高の演技をしてくれるでしょう。

余談

Edenの表現難しすぎるなぁ。。。

まとめててこの解釈でいいのか?みたいな部分が多く妄想交じりになっています。

順番的に次は『泡雪でありますように』に触れたいのですが、緋花里が心の底から笑えるようになるときまで待ちます。

 

 

【ワールドダイスター備忘録】ギムレットにお別れを

 

初ブログです。

『ワールドダイスター 夢のステラリウム』について、より深く向き合うために文字を書き起こすことを決意しました。

演目の小ネタやストーリーの解釈を自分の中で整理し、後で見返したりするのが主な目的です。

 

以下の記事を読む際の注意点

・イベント「ギムレットにお別れを」とメインストーリー「シリウス1章」のネタバレを含みます。

・考察、解釈はあくまで個人の意見です。解釈のブラッシュアップをしたいので意見は常に募集しています。

・チャンドラー作品は何も読めていないので作品の解釈が違う部分があるかもしれません。ハードボイルドな大人になるためにいつか読みたいですね。

・当ブログは『ワールドダイスター 夢のステラリウム』関連二次元創作・ゲーム実況配信及び動画投稿に関するガイドラインを確認したうえで投稿しています。

 

 

銀河座の次の演目は長いお別れ

長いお別れとは、私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とするハードボイルド小説。

配役とざっくりとしたキャラの関係を挙げてみます。

 

フィリップ・マーロウ:ラモーナ・ウォルフ

私立探偵。弱いものを非常に切り捨てることができない情のある男。

・テリー・レノックス:王雪

マーロウの友人。妻のシルヴィア殺人の容疑をかけられ、マーロウの前から姿を消す。後に整形した姿で再開し、その際に告げたセリフが本作の名言「ギムレットには早すぎる」

・ロジャー・ウェイド:千寿暦

人気作家。妻のアイリーンに殺害される。

・アイリーン・ウェイド:リリヤ・クルトベイ

ロジャーの妻。10年前に亡くなった恋人のことを深く愛している。

・メンディ・メネンデス:与那国緋花里

ギャングのボス。テリーとは戦時中同じ部隊で彼に命を救われた恩があり行方を捜している。

 

配役決定後にこんなやり取りがありました。

原作ではアイリーンが戦争で亡くなったと思っていた恋人こそがテリー*1であり、テリーの妻と自分の夫の不倫が原因で二人を殺害します。平和どころかドロドロの関係です。

 

それでは本作の主演ラモーナについて触れていきます。

 

ラモーナにとっての理想の自分

軍人の両親の背を見て育ったラモーナは、立派な両親に強い憧れを抱き、ドイツにいた頃から、皆に手を差し伸べる『強いラモーナ』になることを理想としていました。

『強いラモーナ』になるために不要と決めつけた甘えたい気持ちや強くなれない弱い自分をなくし、周りからは強い人だと思われるようになりますが、理想の自分は崩すことのできない縛りのようになっています。

そもそも人間としての強さとは、何かを切り捨てて得られるものではありません。

表面上は強く見えてもそれは背伸びをした子供が演じているだけの強さです。

 

マーロウの役作りに難航したのはこれが原因です。

 

固さの質

 

ラモーナは役作りの際に演出家に固さの質が違うという指示をうけています。

固さの質とは何か?その説明の前にそもそも役作りとは何かに触れていきます。

 

「役作りとは自分を知り、役を知り、共通点と相違点を見つけて一歩ずつ役に近づいていくこと」 

アニメ「ワールドダイスター」第3場で静香がここなに言ったセリフです。

 

ラモーナはマーロウと自分の共通点を探し、「弱いものを切り捨てたりしない、情のある男」という部分を共通点としてとらえていますが、重要な相違点を見落としています。

それはラモーナが甘えたい気持ちや強くなれない弱い自分を切り捨てているという点です。

 

前述した通りラモーナの強さは、不要と決めつけたものを切り捨てた背伸びした子供が演じている余裕のないものです。

一方マーロウは強くもあり優しい大人の余裕をもった男です。

 

つまり固さの質とは、心の余裕を指していたと考えられます。

人の心の問題なので指示が曖昧になったのも頷けます。

そして役作りに難航したラモーナは、だんだん私生活でも余裕がなくなりラモーナらしくない言動が増えていきます。

 

役者にとって必要な気持ち

ラモーナ宛に届いたシュトーレンとメモの入った空箱。メモには『借りたままだったから、返すね』とあり、それはドイツの劇団にいた頃甘え下手な後輩に手渡した『甘えたい気持ち』でした。

 

人に心配されることや甘えることは『強いラモーナ』のイメージに反します。

それ故に役作りが上手くいかない悩みを一人で抱え込んでしまいます。

 

そんな時役作りのため一人になろうとするラモーナに手を差し伸べてくれたのは、銀河座のメンバーでした。

そして悩んでいるラモーナに対し、甘えてほしいと正面から伝えたのは、出会った頃「人付き合いは時間の無駄。」と取り付く島もなかった王雪でした。

王雪や銀河座のメンバーに『役者にも絆が必要』と伝え行動し、皆を変えたのはラモーナです。

 

ここで今回のイベント曲であるラモーナの役を介さない初のソロ曲 So long, Say Goodbyeの歌詞を見てみます。

自分にはいらないでも 誰かには必要だと信じて

手渡していた どんな想いや感情も

きっとさよならには 早すぎると気づいたよ

仲間の瞳が教えてくれる

変わること 変わらないこと

背筋を伸ばしていたい、両親のようになりたいという気持ちは変わりません。

だだ『強いラモーナ』のイメージとは違う、誰かに甘える自分でも受け入れてくれる役者仲間のおかげで変わることができました。

自分が変えたことが自分が変わることのきっかけになったのです。

 

自分に必要な気持ちを取り戻したラモーナは演技にも変化が現れます。

今までは『強いラモーナ』であることが縛りのようになっていましたが、仲間に甘え弱い自分を許すことで肩の力が抜け心の余裕が出ています。

 

アニメでも描かれたシリウス1章にも役者に気持ちを返すシーンがありましたね。

他の誰かを演じる役者にとって、切り捨てていい不要な感情はないのかもしれません。

 

ギムレットにお別れを

ギムレットはマーロウとレノックスにとってお別れの証。

ラモーナは銀河座を去るつもりはないと雪に伝え『ギムレットには早すぎる、からな』と一言告げイベントを締めます。

読み終わったときは緋花里のような反応になってしまいました。

 

この場面の『ギムレットには早すぎる』には、ドイツに帰りギムレットを飲める年齢になることと、銀河座を去り仲間とお別れをすることの二重の意味があります。

 

ちなみにカクテルには花言葉のようにそれぞれのカクテル言葉があります。

ギムレットのカクテル言葉は「長いお別れ」、「遠い人を想う」です。

このシーンではドイツの劇団員に対して手紙を出してるので「遠い人を想う」という意味も込められているのかもしれません。

 

他にも「遠い人を想う」ことが顕著に描かれている部分があります。

それは【名探偵の悲哀】ラモーナ・ウォルフのサイドストーリーです。

 

【サイドストーリーの内容がわかる投稿は原則禁止のため、かいつまんだ説明とネタバレ防止の文字反転をさせていただきます。】

 

ラモーナはドイツの劇団員と度々手紙を交わしていますが、後編の話ではまるで普段は懐かしむことをしてないように受け取れます。

ラモーナにとって手紙とは、自分は異国の地でもうまくやれているから心配する必要はないと今は会えない遠い人に対して『強いラモーナ』のイメージを保つための行為だったのかもしれません。

 

銀河座の仲間のおかげでドイツの仲間との別れの経験という自分の持っているものに気づけたラモーナの演技はさらに磨きがかかります。

「役作りとは自分を知り、役を知り、共通点と相違点を見つけて一歩ずつ役に近づいていくこと」 

やはり役者にとって自分を知ることはとても大切なことであり、それに気づくきっかけになったのは劇団の仲間、つまり『役者にも絆が必要』ということです。

 

親への憧れをもった同郷の役者

今回のイベントストーリーでラモーナが親への強い憧れを抱いていることがわかりました。

そういえば同じく親への憧れをもった同郷の役者がいましたね。

 

そう、カトリナ・グリーベルです。

 

そんな二人が歌う暁星アストレーションに注目すると新しいものが見えてきます。

上手くいかないまま逃げ出してきた そんな自分を忘れたかったんだ

憧れたものを追いかけていた まだ届かないならばどうすればいい?

やり直せるなら もう一度始めよう 新しい今の私で

今まではラモーナの憧れたものの部分が曖昧でしたが、お互い親のようになりたいという気持ちとその憧れに届かない葛藤を一人で抱え込んでいるように見えます。

ですが二人にはそんな葛藤を打ち明けることができ、支えてくれる仲間がいるそれぞれの居場所があります。

果てのない銀河で 失くしたくない 褪せないこの居場所が

いつかきっと君を追って

夢想って手を取って

ぶつかって何よりも輝くんだ 暁星(あけぼし)のように

二人は新しい今の自分と仲間とともに憧れを、理想の自分を追いかけ夜明けの空でも消え残る星のような役者になっていくのでしょう。

 

小ネタ回収と余談

イベント各話タイトルについて

実はイベントストーリーの各話タイトルにそれぞれ元ネタがあります。

フィリップ・マーロウレイモンド・チャンドラーが生み出したハードボイルド小説シリーズの探偵です。

複数の登場作品と作中では数々の名言があり、それが元ネタになっています。

 

第1話 さらば、愛しき....

さらば愛しき女よ」 登場作品

第2話 渦中の女

「湖中の女」 登場作品

第3話 タフでなければ生きていけない

「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きている資格がない」 名言

第4話 自分で自分に仕掛ける罠

「自分で自分に仕掛ける罠ほどたちの悪い罠はない」 名言

第5話 リトルシスター

「リトル・シスター」 登場作品

第6話 プレイバック

「プレイバック」 登場作品

第7話 優しくなければ

「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きている資格がない」 名言

第8話 ギムレットには早すぎる

ギムレットには早すぎる」 名言

 

子どもっぽい?

ラモーナの強さに対し「背伸びをした子供が演じているだけの強さ」という表現をしましたが、ストーリーでラモーナに対し子どもという表現はあまりされている覚えがありませんでした。(見落としてるかも...)

そんな時SSRポスター「The Long Goodbye」のアフターストーリーを解放したらピンポイントでそんなやりとりがありました。

雪と暦はしっかりラモーナの子供っぽさを見抜いていたようです。

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

解釈や考察についての、賛同や解釈違い等の意見なんでも募集しています。

また気が向いたら他のストーリーもまとめてみるかもしれません。

 

 

*1:戦前はポール・マーストンと名乗っている。